シリコンバレーの会社で働いていた30代の徒然なBlog

30代家族持ちで英語スキルは一人旅行レベルのザ日本のリーマンがシリコンバレーにある外資企業で働く事になった事を綴った日記。

橋下氏引退会見に見る”父親”としての一言が惹かれる。そして、、、

2015.5.17

 

大阪都構想は無くなりました。私は都民ですのでこの大阪府投票権は当然ながらありませんが、メディアを通してみる限り、いわゆる70代以上の護りに敗れたと言っても過言では無いと思います。未来を語る大阪都構想に対し現在(いま)を護る敬老パスとの構図が浮き彫りになり、未来のサービスより今のサービスを護る事が大阪市民の意となりました。どちらが良いかとかではありませんが、70代以上の護りの勢いが非常に大きかった事で、未来が潰れたと個人的には思っています。

大阪都構想とは

大阪都構想 - Wikipedia

 

www.sankei.com

 

そして、5・17の結果として引退表明会見となった記事

www.huffingtonpost.jp

 

色々な質問がされ、未来の話、引退するのか?と質問される事が続く中、この会見で私が注目したのは以下の言葉

Q 政治家になるつもり、当初はなかったと思うが、ご家族への思いがあれば。

橋下:家族への負担は大きかったですよ。全力で大阪府警が守ってくれてましたんで、安心に暮らすことができたけど、38歳から警護対象になって、普通ではなかなかそこまで制限されない制限はたくさんあった。妻もそうですが、よく子供が耐えてくれた。僕みたいなやり方してれば、子供の世界では軋轢もあるだろうけど、学校や友達がうまくやってくれて、子供の世界を築いてくれる友人や学校だったのでありがたく思ってます。この12月、任期終わったあと、8年分をなんとか取り戻していきたい

これ、目頭が熱くなりました。8年間子供が耐えた事、子供の8年は相当な時期でそれを犠牲にして大阪都構想を掲げて最後に僅差で敗れた事にボキャブラリーの少ない私の言葉では表現出来ないですが、この橋下家は非常に立派な家族なんだろうと思ってしまいます。

 

多分、家族にも嫌がらせや、特に、子供に身の危険を及ぼすような犯行声明が届いたりするなど、親としては憤りや、ここまで頑張る意味があるのかと感じ反対勢力に泣く泣く従わざる得ない、負の正当な理由に逃げてしまう気がします。約8年この家族は耐えた。それは凄い。どんな生活をしていたかは私には全く分からない。ただ、語らない凄さが本当に感じられる。子供は強い。親も強くなくてはいけない。大げさでは無く、生きるか死ぬかのやりあいだったと思う。

何にも考えないで人の意見を批判するだけの人は本当に多い。

変わることを嫌う人も多い。

これは、ビジネスにおいても同じで大手であれば大手であるほど変革者は珍しく滅多に出会えないものである。笑顔を振りまきルーチンで時間が過ぎ、今月も給料が貰えると当たり前に思っている人が多すぎる。変化を嫌う割には小さな変化に気づかず、何かを失っていることに気づくこともできない。何故なら周りの仲間もそうだからだ。一歩でいいから失敗を恐れず変革に挑戦して欲しい。

 

先ず、年収1000万を目指そう。その為に必要な事は明らかである。

それはあなたの判断で到達できるはずだ。後は動くだけ。

 

私は今回の橋下氏の引退表明会見がモチベーションになりました。良いか悪いかでは無く、何かを得るために何かを変え、何かを捨てなくてはいけない。その為には屈しない確固たる信念とビジョン、そしてそれを叶えるための権利、立ち場、仲間を得ていかないとそれは難しい。その為、若い世代にこそ雄叫びを上げながら奮い上がって未来を変えていって欲しいと思います。そして私もそのひとりとして動きたいと思います。